POP STORY

episode 1

このページでは、あなたに僕の事をもっと知ってもらいたく、僕のこれまでの経験や実績をエピソードを交えながらストーリー調でお伝えしていきます。

読んでみて何か1つでも面白かった、共感した、または逆に、自分とはここが違う…などありましたら、どうぞお気軽にレスポンスください。絡んで頂けると狂喜乱舞して喜びます笑

もし、まだ僕が掲げている理念をご存知なければ、先にコチラをお読みください。
  CONCEPT

それでは「Pop Story 」をお楽しみ下さい☆

 虚弱から覚醒したヤンチャ坊主 

 
幼少期のことはあまり覚えていません。唯一覚えてるのは、よく遠足の前日にテンション上がりすぎて当日熱出して休むって子っていますよね?まさにそんな子でしたw

ブっちゃけ、この名残は未だにあってちょっと困りものです。楽しみにしてるイベントの前日は、もうワクワクが止まらなくて全っ然寝れませんw

そんで、この頃は本当に貧弱でよく寝込んでました。今の僕を知る人には信じられないかもしれませんが、マヂで弱っちかったです。虚弱下等生物でした。

ですが、家の近くでやってた少林寺拳法を習うようになってから覚醒ッ!

マリオがキノコをGETしたばりにグングン成長し、泥まみれになるまで遊ぶようになりました。おかげで風邪も全く引かなくなり、キノコてどころかスターで無双したかの如く、そりゃ〜もう手の付けられないヤンチャなクソガキだったらしいですw

 ガキ大将小学生ワタルにハマる

 
小学校では、勉強も運動もそこそこ出来て自分の意見もハッキリ言うタイプだったので、いつの間にかリーダー的なポジションになってました。

リーダーと言うと聞こえは良いですが、単に威張り腐って自分の優位性を主張するクソガキ、いわゆるガキ大将でした。「お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ!」的なw

休み時間は小学生御用達の缶蹴りやドロケイに始まり、野球やサッカーはもちろん、コロコロコミックで連載していた「ドッジ弾平」に触発されてドッジボールをやりまくってた記憶があります笑

 

部活(スポ少?)は野球部で、上手くもないのにキャプテンでした。野球はこれと言って好きだった訳ではなく、仲の良い友達が野球部に多かったので、なんとなぁ〜く…って感じでしたね。

 

そしてこの頃にハマったのが「魔神英雄伝ワタル」!

このアニメには超ハマった!世界観がなんとも言えないくらい好き♡

つーか、ラスボスの名前がドアクダーにドワルダーって…。どんだけ悪い奴なんよwww

今でも主題歌を聞くとテンションが上がります⤴︎⤴︎⤴︎

コレコレ↓  きっと共感してくれる人は多いはず!(と、勝手に思ってる)

やっぱ a・chi-a・ch はサイコーだなっ♪

ワタルは僕のバイブルです。

ハッキシ言って、おもしろカッコいいぜッ!笑

 バスケ馬鹿新聞配達中学生

 
中学時代は一言でいうとバスケ馬鹿でした。

バスケは野球よりオシャレなイメージがあったので、女子を意識し始める年頃の男子としては迷わずバスケ部に入部。当時は「SLAM DUNK」全盛期で、そりゃ〜もうミーハーな入部希望者がわんさかいましたw

確かにスラダンも好きだったけど、個人的には「DEAR BOYS」が好きで、どちらかと言うと桜木花道より哀川和彦の影響でバスケにハマりましたね。

175㎝でダンクをカマすツンツン頭にハマりました↓


一応レギュラーで、地区選抜にも選ばれました。ポジションはガードです。

 

そして、中学1年から新聞配達のバイトを始めます。家が貧しかったから家族のために…とかゆードラマ的な事情はありません。単にこずかい欲しさでw

とゆーのも、僕は欲しい物は我慢せずに買っちゃうタイプだったので、親からあまり小遣いを貰えませんでした。たまに貰えても何に使ったのか逐一報告しなければならず、子供ながらに反感を抱いてました。

そんなある日、親に「お金は湧いて出てくるものじゃない。働いて得るものなんだ。そのお金を何もしてないお前が無駄に使っていい訳ないだろ。」的な事を言われます。

 

ムムムッ。

ごもっともです。

 

もうね…

ぐうの音も出ない!www

でも「お前が自分で働いて稼いた金なら何も言わない。」と言われたので、「よっしゃー!だったら自分で稼いでやらぁ〜!」と思い、僕はその方法を模索します。まぁ〜親的には大人になるまではダメだぞというニュアンスで言ったんだろうけどw

で、丁度よく仲の良い同級生に新聞屋の息子がいたので、そいつに頼んで働かせてもらう事に。

 

毎朝、学校行く前にチャリンコで新聞配達。雨の日も 風の日も 雪の日も 嵐の日も…。

新聞の休刊日は月1しか無いので、ほぼ毎日配達してました。バスケの大会の朝も配達してましたね。

あああぁぁぁ、今考えるとマヂで信じられない!本当よくやってたな、俺。って感じです。ま〜ぢで凄い!これだけは昔の自分を褒めてあげたい!笑

 

そんなこんなで、手伝いなどではなく、ちゃんと雇い主に「時間」と「労力」を売ってお金稼ぐという経済活動を中学生ながらにして経験しました。

 

この経験から、

『お金 = 働いて得るもの』
『てめーで稼いだ金なら誰にも文句言われない = 自由』

というような価値観が形成されます。

これが僕のお金に対する最初の学びです☆

 

あと、中学の思い出といえばギターを始めた事です。

大体男子って、この頃から車やバイクのメカに走るか、バンドに走るかのどちらかに別れると思うんスよね〜。僕は後者でした。僕の場合、バンドとゆーより“ギターを弾く”という行為自体に興味がありました。

ってゆーのも、元々、音楽にはそんなに興味なかったんですが、ある時バンド雑誌を読んでいたら、たまたまギターの通信講座の広告が目に止まったんです。

何故だかその広告が妙に気になって、読んでいくうちに「あ、これで習えば俺でも弾けるようになるんじゃね…!?」と、未知の世界でも知れば出来るようになるんじゃないか?と思ったのがキッカケでした。

まぁ〜配達してたおかげで、ギター代とその講座代くらいは余裕でありました。(←生意気か)

なので、あまり悩む事もなく即決ッ!

この経験で思ったのが、お金があると選択肢の幅が広がるという事でした。

きっと新聞配達してなきゃギターもやってなかったと思います。

今思えば、この通信講座が人生で最初に買った情報商材です。

 色々ハマりすぎ高校生

 
高校に入っても特に変わりなく、少林寺、バスケ、新聞配達、ギターはずっと継続してました。そして高校ではそこに“麻雀”という新たな日課が生まれます。週末はもちろん徹マンですw

麻雀は運も必要だけど、それだけでは絶対に勝てません。思考という要素が確実に必要です。あらゆる可能性を考慮して戦略を打つってのは、経営と何ら変わらないんじゃないかなと思います。(正当化w) なので、今でもよく思考を柔らかくするために福本マンガは読んでますw

 

そんで、高校では文化祭でバンドデビューします。

ハイスタのコピー。めちゃめちゃ盛り上がってヤバい楽しかった!

やっぱ何事も見る側じゃなくてやる側の方が何十倍も楽しいって事を実感。

 

ちなみに、現在、愛用してるギターは KEN YOKOYAMA のアロハモデルです。AIR JAM ’98 で弾いてるのを見て一目惚れ♡

Navigator には流石に手が出せなかったので、お手頃価格の EDWARDS のモデルを使ってます。
 → EDWARDS E-MA-98 ALOHA KEN

 

そしてバンドマンと言えばコレです。→ 黄色い声援

はい、来ましたーッ!モテ期☆

「ピック下さい♡」って言われてマジ感激!←青春かよwww

 

そして、この頃から格闘技にも目覚めます。それも結構ガチで。

少林寺の先生が様々な格闘技に精通しており、空手、キック、柔術、棒術、レスリング…などなど。一応、打撃・寝技とも一通りはやったと思います。キックミットを借りて、無理やり友達に持たせてはガンガン練習してました。ちなみに僕は打撃派です。ブッちゃけ、関節技は未だによく分かんねーすw

こんな感じで「昔、格闘やってました。」的なことを話すと、「元ヤンだったん?」ってたまに聞かれますが、全然ヤンキーじゃないです。

よく高校に上がるとイキってケンカデビューする奴とか(俗にいう高校デビュー)いるけど、僕は一度もケンカした事ありません。

てゆーのも、強ぇーって恐れられてた先輩何人かとスパーをした事があったんですが、正直、想像してた以上に大した事なくて…。なんというか…やっぱ所詮、ケンカはケンカなんだなーと思って。

そーゆー強さは求めてなかったので、ケンカとか全く興味無かったです。

 やる気なさすぎ専門学生横乗りデビュー

 
高校卒業後は大学に行く気も無ければ行く学力も無かったので、適当にバイトする予定でした。

が、親が許さず、とりあえずは資格取得目的で専門学校に行く事に。漠然と将来「働く」って事を考えた時、空間を想像するのが好きだったのでインテリア関連の学科を選びます。

専門学校は仙台だったので、ついに念願だった田舎からの脱却!一人暮らし!別に地元が嫌いだった訳ではないけど、とにかく親元から離れて自立したい感MAXでした。

そして、この頃から少しずつ人生が変わり始めます。

 

そう!ここでsk8デビューです☆

 

sk8は高校の時にかじる程度はやってたのですが、どっちかっつーと、友達とグダグダするのが楽しかったってな具合なので、本格的にハマったのはこの頃です。近くに有名なスポットがあったので、学校も行かずに毎日滑りまくってましたねー。

ここが僕の学校、榴ヶ岡公園ですw
ここのゴリゴリの縁石が好きでした☆

 

でも海のある街で育った人間としては、やっぱり夏になると「あ〜海行きてー!」と潮水が恋しくなっちゃうのです。なので、海で遊べて、同じ横乗りだし、一人でも出来るし、カッコイイし!サーフィンやってみたいなぁ〜と興味を持つようになりました。

僕は単純バカなので「コレ!」と思ったら頭はそれ一色になるタイプ。速攻でサーフボードを買いに行ったのを覚えています。でも当時は足がなかったので、サーファーの友達の車に便乗して海に行きました。

 

sk8に続いてサーフィンデビューです☆

 

…と言っても、初めてのサーフでは立てなかったのでデビューと言えるか微妙ですがw

そんな残念な日以後、「よっしゃ!次こそ立ってやる!」と思っていた矢先、友達が中耳炎になってしまい「しばらく海行けない…」との連絡が。結局、サーフィンはこれ以来、当分の間音沙汰になります。

「ま、まぢかよ!? ボードあっても海行けなきゃ意味ねーじゃん。」
「あー車欲しー!金欲しー!ってか翼欲しー!!!」

と、自分の無力さを痛感しました。

 

お金が無いと選択肢が狭まれ、やりたい事があっても出来ないんだなぁ思い知らされたのです。そして一度経験してしまったが為、なんだか急に世界が小さくなった感じがしました。

『お金がない = 不自由 = 世界小さい』

これが次に僕が感じたお金の学びです☆

 

なので、働きたくないとは思いつつも、選択肢が無いのはそれ以上に嫌だったので、しょうがなくバイトを始めます。昼間はsk8したいから夜働こうと思って選んだのが居酒屋「養老乃瀧」。飲食店なら賄いが出るので一食分浮くだろうという、貧乏学生ならではの淡い考えw

このバイトは楽しかった!飲食店のノリが合っていたというのもあるし、何よりバイト仲間に恵まれました。学校の連中と遊ぶよりもバイト仲間とばっか遊んでましたね。もう10年以上経ちますが、今でもこの連中とはちょいちょい遊んでます。

 

そんな感じで、1年間は学校に通うも、sk8とバイトばかりの毎日で学校に行く日数が減っていきます。

そしたら、ある日突然親から連絡が…!?

なんでも出席通知が届いたらしく、その出席日数の悪さに激怒!

「ふざけるな!金払ってんだぞ!ちゃんと行け!」

ですよねー。ごもっともですw

でも正直、本当に自分が行きたいと思って選んだ道ではなかったので、どーしても行く気になれなかったのです。叱られてから数週間は真面目(それが普通)に行きましたが、1コマ90分という時間がとてつもなく長く感じ「永遠かよ…。」と発狂しそうなくらい退屈でした。

なので、こんな自分の感情に逆らってまで行く意味をどーしても見いだせず、学費を払ってくれた親には申し訳ないと思いましたが、意欲のない学びほど無駄なものはないと思い、あと半年ほどで卒業でしたが辞めることにしました。

ちなみに全く後悔はありません。むしろ、もっと早く辞めときゃ良かったとさえ思ってます。

 働きたくても働けない中退フリーター

 
専門学校を辞めてからは、上京するための資金を稼ごうと思い地元へ。

しか〜し!順調に貯金が増えていた矢先、なんとsk8で右膝の靭帯を損傷!数ヶ月のギブス生活。

働きたくても働けず、貯金は徐々に減っていきます。

この時に痛感したのが、どれだけ自分に働きたいという意欲があっても、働けない状況になる場合もあるという事。頭ではわかっていても、実際に体感してみると本当にその辛さがわかります。

 

世の中には自分の意思とは関係なく、事故やリストラなどで働けない状況に陥っている人が毎日のように続出しています。しかし、多くの人はそんなことは分かっていても、どこかで自分には関係ない。大丈夫。と思い込み、そのリスクと向き合おうとしていません

慣れというのは良くも悪くも、このリスクへの危機感をも慣れさせてしまいます。つまり、人々はリスクに無関心すぎるのです。

しかし、そのリスクに正面から向き合って、何かしらの行動を起こさなければ、本当の意味での自由な生活は送れないのだと身に染みて感じました。

episode 2

CONCEPT